大阪府民が大阪城を訪れて見つけたもの

こんにちは。
私は生まれも育ちも大阪府です。
大阪を代表する観光地の1つが大阪城です。
今や大阪城は国内外からたくさんの観光客が来る場所になっています。
観光地=地元民にとってはわざわざ行かない場所
今回は地元大阪府民が大阪城を訪れてみると新たな発見があったことについて書いてみたいと思います。

そもそも大阪城の歴史は?

大阪城は、豊臣秀吉が安土桃山時代の1583年に築城をスタートし15年の歳月をかけて作ったそうです。
15年。。。とてつもなく大規模な工事ですね。
豊臣秀吉が亡くなった後、1615年の大坂夏の陣で豊臣が徳川に敗れたため大坂城は廃墟となってしまいます。
その後、徳川幕府は西日本支配の拠点として大坂城を再築、豊臣秀吉の時代のおよそ2倍の高さの石垣、2倍の深さの堀にしたそうです。そして、江戸時代の終わり(幕末)に焼失し、1931年(昭和6年)に現在の鉄筋コンクリート造の天守閣が再建されたそうです。
以上が大阪城(大坂城)の歴史です(大阪城のHPより)。
地元大阪府民なのに知っているようで知らなかった歴史です。

大阪城といえば「太閤さん」豊臣秀吉です。

大阪城内には、豊國(ほうこく)神社があり、ここに豊臣秀吉さんがいます(豊臣秀吉像です。)。

大阪では「太閤さん」と親しみを込めて呼ばれています。
豊臣秀吉は、歴史ドラマや映画で登場することが多い人物で日本人で知らない人はいないのではないかというくらいの有名人ですよね。
そんな豊臣秀吉に対する私の印象
天下を統一するまでは、織田信長に仕えて、いろんなアイデアやさまざまな仲間とともに、その知恵と機転でいろんな困難を乗り越えて成功を掴んだ人
一方で、天下統一後の晩年は人を信じることができなくなって周囲から人が離れていってしまった人
豊國神社にある豊臣秀吉像は、彫刻家の中村晋也さんの作で昭和18年に戦争で供出(金属が不足して物資として出された)後、2007年に再建されたものだそうです。
台座を入れて5メートルの高さなので、その表情ははっきりとは見えませんが彫刻家の方の作だけあって、銅像とはいえリアルにそこに太閤さんが佇んで大阪城を眺めているようでした。
少し前かがみな姿勢で大阪城を訪れるたくさんの観光客を優しい眼差しで眺めているように見え、後世に伝わっている晩年のエピソードとはかけ離れた優しい人柄を感じる姿でした。
今の世の中の変わりようを太閤さんが見たらどう思うんだろうなぁと妄想したりして、太閤さんへの親近感が増した気がしました。


(▲奥が豊國神社。大阪城には毎日たくさんの人が訪れます。外国の方も多い!!)

改めて見た大阪城天守閣に圧倒されました

豊國神社を後にして、大阪城天守閣へ
今回は天守閣へは入りませんでしたがいろいろな角度から天守閣を眺めてきました。

西の丸庭園から見た大阪城。改めて、その大きさに圧倒されました。。
大河ドラマ「真田丸」で若き日の主人公真田幸村が大阪城天守閣を見上げ秀吉の権勢に圧倒されるシーンがありました。
まさにそんな気持ちになりました。とにかくでかい!

石垣フェチにはたまらない?

天守閣も圧倒される大きさですが、石垣の高さがとてつもなく高い。
一番高いところで、およそ32メートルあるそうです(30メートルでマンションの10階くらいなので相当高い石垣です。)。
高く積まれた石垣の模様がとてもきれいで、城郭、石垣フェチでもない私まで「これは綺麗だ」と思う光景でした。

地元大阪府民が改めて大阪城を訪れてみて

大阪府民にとっては、大阪城はさほど珍しい場所でもなくわざわざ行くことはないという場所でした。
ところが、今回カメラを持って改めて大阪城に行ってみると豊臣秀吉に対する見方が変わったり、天守閣や石垣の大きさやその美しさに改めて気が付いたりと、新しい発見がたくさんありました。
国内外からたくさんの観光客が来るのも納得!の大阪城でした。
地元大阪府民として誇らしいものがここにはあったんだなぁと思った一日でした。

週末フォトグラファー/ミニマリスト  単焦点レンズ好き/使用カメラはNikonD750

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA