時間というものの価値に気が付いたときに、生まれる原動力

本日は2020年12月31日、大晦日です。
年越しにあたって激動だった2020年をぼんやりと振り返ってみました。
思い浮かんだのは
「なんか違うなということに気が付いた一年だった」ということ

コロナ禍の中で気が付いた「何かが違う」ということ

「なんか違うな」と気が付いた。
そのきっかけはコロナ禍です。
多くの人がそうだったように私もコロナの影響で色んな事が変わりました。
4月、5月には会社員人生で初めてリモートワークを経験しました。
社内で予定されていた研修や大きな会議は延期、中止されるものもあったり、開催に替えて資料を配布することで済ませたものもありました。
大人数で行われてきた打合せも小人数になったり、定例で行われていた会議の中には開かなくなったものもあります。
そして5月下旬、緊急事態宣言は解除されました。
それでどうなったか?
徐々に4月以前の状態に戻り始め、第3波と言われている現在はリモートワークもなくなり、ほぼ通常の勤務態勢で出勤し、昨日仕事納めとなりました。
社内では三密を回避するという意識は守られていますが、「これまでやってきたから」と大人数での会議が再び行われたりするなど、コロナ禍で得られたはずの経験が生かされていないのではないかという状態が続いていて、今年の秋以降は「なんか違うな」と思うことがたくさんありました。

時間というものの価値に本気で気が付いたとき、生まれる原動力

実は社会人人生の中で「なんか違うな」と感じていたのは初めてのことではありません。
私は管理職になっておよそ10年です。働き方改革が言われ始めたころでした。
管理職になる前は、時間など気にせずに働いていて、夜の10時、11時まで働いて普通。
私自身もなんとも思っていませんでした。
会社も働き方改革なんて言っていません。
ところが10年ほど前から働き方改革が言われ始め「早く帰ろう」「休みを取ろう」と盛んに言われています。
管理職になった私は、いつの頃からかは定かではありませんが、当時の自分を今振り返ってみると、きっとあの時の自分は「あること」に気が付いていたんだと思っています。
それは「時間」というものの価値です。

時間には価値がある。
時間を1つのリソース(資源)として捉える。

言われてみれば当たり前のことですが、毎日、一生懸命に働いていると気が付かなかったり、日々の生活を流していると忘れてしまうのが、この時間というものの価値です。
このことに気が付いていたんじゃないかと思う当時の自分にとっては「働き方改革」はちょうどよかったんです。
「早く帰れ」「休みも取れ」と会社が言ってくれるわけですから。

早く帰るためにはこの仕事をどう片づけるのがいいのか、この仕事って本当にやるべき仕事なのか、それから今月はいつ休もうか、を考えるようになりました。
ところが、会社全体では違っていて、働き方改革といいながら、一方では遅い時間帯の打合せや上司からのオーダー、それまでとほぼ同じ姿勢で働く上司や同僚の管理職を見ていると「なんか違うな」と思っていました。
当時は仕事がどんどん降ってくるので仕方がなかったのかもしれません。

働き方改革、ひとり定時退社ができた理由

そんな中で私がとった行動は「ひとり定時退社」です。
当時は管理職4年目。
「ひとり定時退社」を公言していましたので同僚の管理職や上司からはよくは思われていなかったかもしれません。

そんなことができたのも、周囲の言動が矛盾していてなんか違うぞと思っていたから。
それから、自分が担当する部下のみんなには理解してもらえていたからだと思います。
そしてその原動力となっていたのが、「時間というものの価値」に気が付くことができていたからだと思います。

有限の資源である時間の価値の捉え方

会社で過ごす時間ももちろん大事です。
自分が担当する部署のみんなと協力して仕事を進めて成果を上げる、そのために使う時間はもちろん大事で貴重な時間だと思っています。
一方で、会社を離れ、「自分のために過ごす時間」「家族と過ごす時間」「なんにもしない時間」、こうした時間も間違いなく大事な時間です。
1日24時間という限られた時間の価値、そしてこれが永遠に続くわけではないことに気が付くこと、本気で気が付くこと。
そのことでこうした行動ができるのではないかと思います。

再び感じた「なんか違うな」をきっかけに

コロナ禍で再び感じた「なんか違うな」
このなんか違うなをきっかけに自分や自分の周りの人のためになる言動をこれからもできればいいなと思っています。

週末フォトグラファー/ミニマリスト  単焦点レンズ好き/使用カメラはNikonD750

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