父親が亡くなった年齢を迎えて思うこと

こんにちは。

私は今月、父親がなくなった年齢を迎えました。
40代後半、亡くなるにはまだまだ早い年齢です。
父は私を含め3人の子どもを母と共に育て、子どもの頃は夏休みに必ずキャンプを企画して連れて行ってくれる人でした。
そんな父が亡くなったのは、私がようやく就職して数年が経ったころです。
私は大学入学も一浪し、就職も一浪してようやく職につきました。
その間、父から「浪人は許さない」とか、「早く就職しろ」と言われることは一切ありませんでした。
お酒もほどんど飲まない、たばこも吸わない、一見して健康的で、地元の祭り、魚釣り、写真、ホームビデオ撮影など、人付き合いが好きで多趣味な父でした。

子どもの頃の写真を見て感じること、父が遺してくれたもの

父が遺してくれたものはたくさんあると思います。
その中に私の子どもの頃の写真があります。
私は長男ですので他のきょうだいより圧倒的に子どもの頃の写真の数が多いです。

そのたくさんの写真、撮ってもらったときの私の記憶は全くありません。
2歳や3歳の頃ですのでどうしようもありません。
でも写真を撮るようになって思い浮かぶ風景があります。
それは撮影時の風景です。
「ここに立って」とか「こっち見て」とか「こっちに向かって走ってきて」と父が私に一生懸命指示している風景です。
そんなやり取りをわが子としている父の姿が一枚の写真から想像できるのです。
こうした物語が遺してくれた一枚一枚の写真の奥に込められています。

父親が亡くなった年齢を迎えて思うこと

父が亡くなってから二十数年が経ちました。
この間私は一体何をすることができたのか、父が亡くなった年齢を迎えて思い返してみます。
ここまで大きな病気や怪我をすることなく、無事にこの年齢を迎えられたということにまずは安心しています。
そしてここまでこれたのは自分の力だけではなく、周りで支えてくれた人のおかげだと思います。

正直、何かを成し遂げたり、これを達成した、これを遺すことができた、と言えるようなことはありません。
毎日起こる出来事に対して、一日、一カ月、一年を1つずつ積み重ねてきた感じです。

考えてみると「遺せたもの」と「遺してくれたもの」は違うものだと思います。
遺せたものは自分の人生における達成感や満足感で、自分でコントロールできるもの
遺してくれたものは、後に残った者が感じるもので、自分ではどうしようもないもの

こう考えると自分がこの人生でやるべきことは、何を見て、何を聴き、何を考え、どんな行動をして、何を学んだのか
時間の大切さを知って貴重な毎日を精一杯生きること

こういことなのだと改めて思います。

週末フォトグラファー/ミニマリスト/日本メンタルヘルス協会公認基礎カウンセラー 単焦点レンズ好き/使用カメラはNikonD750、Z6Ⅱ

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